突然ですが、みなさんは、日々暮らす中で何を物事の判断基準にしていますか?
えっ、どういうことって思われたかもしれませんね^^
今日は以前読んだ本「人生最後の日にガッポーズして死ねるたったひとつの生き方」(ひすいこたろう)の中に、
「日本人は何を判断基準にして生きていたのか」
っていう事が書いてあり、それがなるほどって思ったので記事にしますね。
これを読んだら、あなたの物事の判断基準が変わる・・・かもしれませんよ。
Contents
それぞれのよさを楽しめる感性

その本にはこんなことが書いてありました。
ある男の人が神社で正式参拝したとき、その男の人は神主さんから、こんな質問をされたそうです。
神主さん
「日本の神道と、外国の宗教、どこが一番違うと思いますか?」
男の人
「違い?・・・」
神主さん
「神道は、教えがないんです。」
男の人
「教えがない?・・・」
神主さん
「それでは、神道には何がないと思いますか?」
男の人
「教えがないということは……」
神主さん
「善悪がないのです」
異教徒同士が「おまえは間違っている」といって言い争いになることがあります。
ですが、日本人はクリスマスに盛り上がり(キリスト教)、大晦日はお寺で除夜の鐘を楽しみ(仏教)、そしてお正月になれば神社に初詣に出かけたり(神道)。
これって、全部違う宗教で、さらに日本人は七福神も大好きですよね。
でもこれもヒンドゥー教や仏教、道教など、いろんな国の神様たちです。
これって普通なら戦争にもなるような価値観の違いなのですが、日本人はそれぞれの良さを楽しめる感性がある。
そしてそれは、「正しい」、「正しくない」の善悪で考えないからこそできるというのです。
神主さんは続けてこう言いました。
神主さん
「じゃあ、日本は、善悪のかわりに何があると思いますか?」
男の人
「さて?なんだろう……。」
神主さん
「美しいかどうかという判断基準です。」
男の人
「美しいかどうか・・・」
美しいかどうか

江戸時代は、それが「粋か野暮か」です。
ヨーロッパでは、鉱物資源の採掘やトンネルの掘削をおこなう際に火薬(発破)を使っていました。
その火薬を日本に伝えたのがパンペリーなのですが、彼は日本人のことを不思議に思っていたそうです。
それは日本人が高い技術力を持ち、そして火薬の使い方を知りながらも、石の採掘には応用しなかったからです。
日本人は火薬を自然を征服するためには使わなかった。
それはなぜか?
「自然を爆破させるなんて美しくないからです。」
じゃあその火薬を何に使ったのって思いますよね。
それはみなさんが知っているあれです。
そう、みんなが楽しめる花火に使ったんです。
これが本来の日本人の感性なんです。
たったひとつの問い

日本人はなんでも道にしてきました。
お茶を茶道にし、剣を剣道、弓は弓道、華は華道というように。
そしてその道というのは美しさの追求であり、損得や勝つか負けるかを競うものでもない。
美しいかどうか、そしてそれを突き詰めると、それはみんなで笑い合えるかどうかということ。
そして最後にこう書いてありました。
あなたは人生最後の日に、どんな思いを持って還りたいですか?
このたったひとつの問いを基準に生きれば、人は本来、美しく生きられるのです。
これからは迷ったり悩んだ時は、このたったひとつの問いを自分にしてみようって思うのです。
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